西葛西・葛西の歴史

海と共に生きてきた漁村-葛西

葛西地区は700年前から漁港(漁村)であったことが、江戸幕府の取調書に記載されているなどから、古くから知られていました。
冬場は名産「葛西ノリ」、夏場はアサリ、ハマグリなど江戸前の魚や甲殻類の水揚げが行われており、葛西沖にはノリを育てるひび竹と何百艘もの船、陸にはノリ干しのよしずが連なる活気にあふれた漁業の村でした。

また葛西沖は一年を通じてレクリエーションの場であり、春は潮干狩りの好適地として、夏は海水浴、秋はハゼ釣り、冬は古くから伝わる「すだて」と呼ばれる船遊びににぎわいを見せていました。

さらにこの葛西沖には、三枚洲と呼ばれる遠浅の海岸が3kmにわたって広がり、毎年渡り鳥が群をなして渡来していた。こうして葛西の海は、昭和35年(1960年)頃まで、東京周辺に住む人々の憩いの場になっていました。

葛西沖の移り変わり-そして現在

しかし海岸に堤防を構築した頃から、海とともに人が生きるという関係が次第に薄れていきました。東京への人口集中、産業の重化学工業化によって東京湾は汚染の度を加え、その波は葛西沖にも押し寄せてきました。

そして、昭和36年(1961年)には、葛西沖周辺地区に区画整理され、田んぼや蓮田は徐々に住宅地へと変わっていきました。
また海の汚染と共に魚や貝やノリがほとんど採れなくなり漁業が成り立たなくなっていき、かつて栄えた漁村葛西は消えることになってしまいました。

葛西沖開発土地区画整理事業が完成に近づく頃平成3年(1991年)に、第一回都市景観大賞「景観100選」を受賞し、加えて平成5年度(1993年)には、まちづくり月間建設大臣賞を受賞する事ができました。

事業が完成した現在、住宅地では約3万人が居住し、新しいコミュニティが生まれ、「まち」清新町・臨海町として成長をみています。

東京において失われた「なぎさ」を復活させた広い葛西臨海公園の中には飼育が困難とされた、マグロの回遊がみられる水族館や様々な野鳥が集う鳥類園があります。
この公園は年間約400万人が利用する貴重な都市のオアシスとなっています。

その他葛西には親水公園やワラビーやペンギンなどがいる動物公園など、公共施設が充実しています。

-参考資料-
江戸川区 区政情報室 発行:「くらしのガイド」
東京都第一区画整理事務所 発行:「今よみがえる葛西沖」