画家 葛西利行さん

江戸川区地域情報サイト パソコンで散歩in葛西・西葛西

画家 葛西利行さん

画家 葛西利行さん
このエントリーをはてなブックマークに追加

今回は『日本のミロ』と呼ばれている雅号:葛西利行(かさいりこう)画伯(本名は須賀 勲(すがいさお)さん)に氏のアトリエで、生い立ちから画歴を含め地元葛西への思い入れなどをインタビューをさせて頂きました。
氏は昭和10年(1935年)葛西生まれ、3人兄弟の長男として育ちました。
今回は小さいときの想い出から話をして頂きました。


画家 葛西利行僕の生まれたところは昔『新田(しんでん)』と呼ばれていました。
まわりは田んぼだらけで家なんてほとんどありませんでした。
昭和20年くらいだったかな、満潮になった海の葦原でたぬきが溺れていて漁師が助けたなんて記憶がありますが、そんな田舎でした。
そんな小学校の頃のこの辺はみんな半農半漁だったから、いつもみんな家の手伝いをしていてね、もちろん僕も家の手伝いしないとやっていけない状況でしたから小学校にはあんまり行けなかったな。
そんな中で戦争が始まってこの辺りも爆弾が落ちたんだよ。
空襲警報のサイレンが鳴って、みんな防空壕に逃げるでしょ。
我が家の防空壕は、津波対策で近くに土を盛って山のようにした所に穴を掘って作ったようなものでした。いざとなって防空壕に入ろうとしたらヘビがいっぱいトグロ巻いていてもう冗談じゃないですよ(笑)。ヘビの方が先に避難しちゃって僕たちはヘビがいないときしか入れない。今もヘビはダメですね。ほんと嫌い(笑)
終戦の翌々年くらいに葛西中学に行きました。
当時は学校の前の川がすごいきれいでね、飲めるくらいキレイ。
もう今は埋め立てちゃったけどね。
雨がすごいときなんかは金魚屋さんのとこから金魚とか錦鯉とかが逃げて川で泳いでましたっけ。

画家 葛西利行絵には中学校で美術部に入って目覚めました。
中学を卒業して美術学校に行きたかったんだけど、お金がなくて。
父に相談してもダメって言われて結局行けなかった。
それからずっと独学で絵を勉強しながら働きました。
ある大手印刷出版会社でレタッチと言って、写真から本の表紙を作るのに、ガラス板に調子をつけていく仕事が最初の仕事でした。
それから運転免許をとって、東京・浜松間の今で言う定期便のトラックの仕事の様なことをしました。当時は未だ全然車が少ない時代でしたけど、まだ絵描きを目指していましたし、この仕事ならいろんな景色が見れるからね。
・・・
それから母親を楽にしてあげたくて、お金稼ごうとボクシングをやったりしてね。
ボクサーだから体力つけた方が良いと思って、昼間は豊洲で台湾から来る砂糖の塊をハンマーで割る仕事もしました。
でも本音のところではもちろん絵描きになりたいとずーーと思ってました。
それに結局、僕には人を倒してのお金儲けなんて出来なくてね。
・・・
画家 葛西利行横浜や神楽坂で流しをやってたこともあります。
ギターを一本かついで自分で作ったノートに100曲位歌を書き写して・・・

そうそう地元の葛西ではお祭りの舞台でちょっと悪ぶった人たちを沢山集めて劇をやったりしましたよ。僕が脚本書いてね。
ピストルはマラソンのバンってやつ使って。
おまわりに人気が出ましたよ。「よくあんな荒れた連中まとめ上げた」って。もうみんな死んじゃったけどね。


30代になったとき、英語、数学、書道、美術の塾をやったんですよ。
知り合いの先生たちをそれぞれ呼んで、美術は僕が教えてました。
その傍ら、画家としても本格的な活動を開始しました。
上野の美術館の公房展に出したり、二科展で初入選して、新構造社展に入選して岡田賞、、月光荘の賞をとったりとそれぞれ何回か入選することが出来ました。
普通は派閥があるんでひとつに絞って出すんですけど僕は全部出しちゃった。
・・・

画家 葛西利行35歳のときパリ行きました。ゴッホとゴーギャンが好きだから、彼らが歩いた土地を見てみたかった。それで絵描きだけ16人でヨーロッパに2ヶ月間のスケッチ旅行に行きました。
もちろん自費です。お金は大変でしたよ。高かったですから。
最初の1ヶ月は団体行動。美術館入るのは全部只でしたからたくさん見て周りました。
残り1ヶ月はパリから自由行動。僕はゴッホがいたアルルに行ったりイタリアとかスペインの周りにも行きました。
ホテルもお金ないから泊まるのを躊躇してたんだけど、まあいいかと入ったアルルのドラホンテーヌってホテルのオギスティーヌって奥さんと仲良くなって、その親父さんのジャンがボクサーで、そこで話が合っちゃって。
ジャンはすごく強い人でファイトマネーでそのホテルを建てたらしいですけどね。
僕の若い時のボクシングが無駄にならなかった。それから毎年のようにアルルに通いました。
地元の水道工事屋さんと仲良くなって毎日仕事先の近く迄、車で連れてってくれたんです。
彼は色んなところで仕事するからね。そこで僕は色んな風景の絵が描ける。
帰りに喫茶店で待ち合わせてまた送ってもらって。そんなことをして1ヶ月を過ごしました。
当時はパリにアトリエがなかったから、デッサンしたものを日本に持って帰ってきて仕上げました。

画家 葛西利行日本でその絵で個展を開いたり、パリにアトリエを買ってからは向こうでも個展を開いたりしました。アトリエができてからは以前よりは長く滞在していましたけれど、日本に妻も母もいましたから通う感じでヨーロッパに行ってました。
イタリアのベニスでスポンサーがついて、個展を開くことになった時は普通ではないようなものでした。すごいですよ本当に。新聞にも載りましたし、ピカソとかミロもみんな友達だなんて書いてありますよ(笑)
有名なカジノのオーナーやあの辺のお金動かしてる人たちが集まって来てくれて全部売れちゃいました。
・・・

画家 葛西利行今は年間50点から60点くらいの絵を描いています。
歳をとると丁寧になってきてしまって。若い頃は勢いで描いていたのでもっと点数を描いていましたが・・・。
当面の予定としては、6月2日~8日に銀座松坂屋・別館4階で個展を開きますのでそれに向けて制作活動中です。
・・・
僕の雅号の『葛西』はもちろん地元の葛西からとったもので、『利行』は好きだった先人の長谷川利行氏から戴きました。
振り返ると色々な方とのつながりが今の僕を作ってくれたなあと感謝しています。僕の育ったところで、僕を育ててくれたところですから、今度は地元の葛西の友人たちとゴルフやテニスなどをしながら、一緒に大切にして行きたいと思っています。


6月2日からの個展に向けての制作活動に忙しい中で手を休めてご協力頂きました。
ありがとうございました。
個展の成功を心からお祈りしております。

葛西利行さんの画歴はこちら

画家・葛西利行
須賀 勲 (著)
垣内出版 (2014/02)

「絵を描きたい」って気分だけでベニスまで行っちゃった。
それで大物に気に入られるんだから、ほんとすごいセンセイだ。
ビートたけし

垣内出版より葛西利行先生の初の自伝&画集が2014年2月に発行されました。

2010年2月17日 葛西利行氏アトリエにて

このエントリーをはてなブックマークに追加